Linuxを中心とした話題を投稿予定。 使用ディストリビューションであるFedoraが中心になると思われます。http://oedipa.wiki.fc2.com/にてTips Wikiを公開してます。
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DQV
今日ようやく、ドラクエVをやり始めました。通販で頼んで、昨日届いてたんですが、バイトで出来なかったので今日にずれ込み。
さっそくポチっとなと開始。
「タータタタタッタッタ~♪」
といういつものドラクエのテーマ曲。なんと、オーケストラで演奏しているのを使ったそうで、さすがに音が素晴らしい!なんて思ってたら、おぉ、キャラが3Dだ!!!
あぁ、パパスがおろおろしてる(笑) おぉ、生まれたよ、生まれたよオレ!
おぉぉぉぉ…、こ、これはすごい…(じーん)。

とまぁ、ひとしきり感動した後、赤ん坊の泣き声とともに「DRAGON QUEST V」のロゴとテーマ曲が。あぁ、SFCからPS2でここまで進化したのね!!!と一人で感動(涙)
SFC時代からやりこんでいた私はこのグラフィックと音楽の高さに感激!
早速ぶっとおしで6時間とかやっちゃいました(爆)
モンスターも可愛いし、動きもコミカル。リメイクなんだけど、もう何もかもが新しいって感じですね。
あぁ、しばらくは廃人プレイしてそう(爆)

叱ることの出来る人
教える側の心境
上の投稿でも触れましたが、私は今塾の講師のアルバイトをしている。アルバイトと言えど、生徒から見たら私は「先生」。社員の先生と、何ら変わらない。
昨年度の一年間、中学一年生のクラスを担当した。その校舎ではクラスを2つのレベルに分けており、私は下の方のクラスの担当だった。
そこで教えていて、痛烈に感じたことがある。
「叱る」ことの難しさである。
テキストの内容を教えるのは、こっちがしっかりと内容を把握しておけば、それほど難しくは無い。だって、中学一年生の内容なんですもの。分かってもらうためには努力が居るけど、そこは根気よく問題を何度も解いてもらったり、時には一人一人見て回って分かりにくそうな人には指導する。
ただ、クラスを持って最初の方はお互い緊張しているのであまり騒がしくないが、しばらくして慣れて来ると、どうしても騒がしくなって来る。これはいささかしょうがない部分もあると思う。みなさんも、小学校とか中学校のときに、ふとしたはずみでクラスが騒がしくなって、先生に怒鳴られた、なんて経験おありではないだろうか?
私は小柄でやせ型で気の強い方には見られないので(事実気は強くは無い)、段々騒がしくなって来てしまった。ここで、それでは授業が進まないのでこう注意する。
「は~い、いいかな~、説明するよ~、静かにね~。」

…きっとこれが失敗だった、今ではそう思っている。
あまり大きな声を出すこともなく、生ぬるい対応をしてしまったのだ。そうすると、きっと生徒はこう思うんだろう。
「あの先生、別に怖くもないし、そんなに怒らないじゃん」

こう思われてしまったが最後、なかなか静かにならない。あまりにうるさくなってきてしまったので、
「おい!聞けよ!静かに!」
と大声で叫んだら、ようやく静かに。
ただ、一人の生徒がぼそっと
「あ、先生キレた。」
と、とても無感動にこぼしたのを覚えている。そう、そんなもんなのだ。一度この人はこんな人だ、と認識されてしまうと、それをひっくりかえすのが凄く難しい。

それに、「叱る」ことそのものが難しいと思う。感情的になってそれをダイレクトにぶつけるのもいいとは思えないし、かといって静かにさせておくだけの迫力も私は持ち合わせていない。
だから、「叱る」ことのできる人、先生は実に素晴らしいと思う。
今は教師が生徒に手を上げるのはご法度だ、なんて風潮が流れてるけど、必ずしもそうではないと思う。

私は、小学生のときは間違ったことをしたときや約束を破ったときは父親や母親にぶたれた。いわゆるお尻ペンペンもされた。すごく痛くて、わんわん泣いた。でも、そこにはきちんとした「理由」があった。私が間違ったことをして、それがいけないことなんだ、それを理解させたい、そういう「理由」があった。そんな理屈は、小学生のときには分からなかったけど、でも「これはやっちゃいけないんだ」というコトだけはしっかり分かることが出来た。
中学校に上がってからは両親の考えから私は「一人の人間」として扱われていたので、意見がぶつかったときは一方的に叩かれるとか言うことは無く、話合い(という名の喧嘩ではあるが)で事を済ませた。

やっぱり、「これはしてはいけないんだ」と言うことをしっかりと理解させて上げる、これは必要なことだと思う。それに関して、多少手を上げることも必要だと思う。暴力は反対だ。でも、…うーん、うまく言えない。でも、子供にだって、その痛みが、謂れの無い暴力か、それともしっかりとした「しつけ」の痛みなのかは理解できると思う。
これは親だけではなく教師でもそうだと思う。体罰は反対だ。だけど、悪いことをするとぶたれる、これくらいは半ば当り前だと思う。特に、小さいときには必要だと思う。いわば、「トラウマ」にしろ、とでも言ったところか(これは言葉が悪いのだけれど)。

これはやってはいけないことなんだ、それをしっかりと理解させる、これが「しつけ」なんだと思う。だから、私は「叱る」ことの出来る人、先生は素晴らしいと思う。

私も、そういう人間になりたいし、なっていかなくてはならないと思っている。

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Googleにはこんな機能そういえばありましたねぇ、私もblogの検索機能はぜひとも知りたかったので、トラックバックしてみました。これでblog内の検索ができますね!

温故知新
最近ではちょっと昔に流行ったものがリメイクされるなどして大ブレイクしてますよね。
ドラマでは言わずと知れた「白い巨塔」。もうこのところ見たことないというような視聴率をたたき出したのは記憶に新しいです。
音楽では著名アーティストが山口百恵をカバーしたりして話題になりました。
お笑いでもドリフのDVD-BOXはいかりや氏が亡くなられる前から爆発的ヒットでしたし。
ゲームでも先日ドラクエVがリメイクされました(欲しくて通販で注文しちゃいました。届くのが待ち遠しい♪)。他にもゲームボーイアドバンスでは昔懐かしいマリオなどがリメイクされています。

タイトルに書いたとおり、「温故知新」ですよね。ドラマにしても音楽にしてもお笑いにしてもゲームにしても、「よいモノ」というのは世代を超えて受け入れられるんだ、逆に「よくないモノ」というのは消費者はきちんと見極めているんだ、ということが見て取れるような気がします。
「画一性」から「多様性」に移り変わってきた、とは言われますが、根本にある「何か」(それが何かは分からないんですが)は変わらず脈々と受け継がれている、なんかそんな気さえします。

「時は流れ…
        歴史は繰り返す…」
                       -引用 「聖剣伝説2」-

今一度、振り返ってみるのもおもしろいかもしれません。

Linuxを始めたキッカケ
blogを始めたキッカケ

上でblogを始めたキッカケについて触れたので、今度はLinuxに触れたキッカケについて。
初めて触れたのは大学1年生のとき。
情報系に進んだので、授業ではUNIXを使うことになった。でもそれまではPC=Windows(ちょっぴりMac)としか思っていなかった私は当惑。こんなPCがあるんだ~、PC-98と似たようなものかな?とくらいにしか考えてなかった(アセアセ
でもこれから授業で使っていくんだから慣れないとな~と思っていたころ、友人が「UNIXとほぼ同じものにLinuxってのがあるよ~、しかもタダ!」なんて教えてくれた。これが、私とLinuxの出会いである。
その頃の私のPC暦は大体2年弱。とはいっても、ベビーユーザーでWordを使って文書をチョコチョコといじり、CDを焼いて音楽を聴いて、くらいしか使えていなかった。まだISDNを使っていた頃で、時間制限があったのでWebもほとんどやっていない頃だった。
そんな私がOSを入れる、しかもまったく触ったことのないLinuxなんて入れようとしたんだからまぁ大変。言葉は知らない、やり方も知らないですっごく苦労したのを覚えています(またそれに使ったPCがNEC製で、Linuxには向いていなかったんだそうな)。
パーティションについても知らなかった頃に四苦八苦しながらインストールを終え、いざ起動しようとすると「li」の部分でフリーズ!!!Linuerならほぼご存知、ブートローダーのLILOのフリーズです。もうまったく原因が分からなくて四苦八苦していたときに、「こうなりゃやけじゃーーーー!!!」とあらゆるカーネルパラメータを与えてようやく起動したのが「LBA=32」でした。どうやら1024シリンダの壁にぶつかっていたみたいです。
そんなこんなでインストールしたのが今から約2年前(年がばれちゃう(笑))
もともとPCには興味があったし、なによりWindowsよりも外観であるとかさまざまにカスタマイズ性があることとコマンドラインをガチャガチャたたくことに興味を覚えました。コマンドラインをガチャガチャたたくのはなんか「PC使ってるぅ♪」という自己満足に浸れるからなんですけどね(笑)
ただ、本格的にLinuxを使い出したのはPCを自作したあとでしたね。インターネットもブロードバンドに変え、情報をネットから拾えるようになってから一気にLinuxにのめりこみました。
「好きこそ物の上手なれ」とはよく言ったものですが、たまたまうまくヒットしちゃったんでしょうねぇ。好きでもなければここまでLinuxを使い続けることはなかったでしょうし。
まだまだ私はLinuxにおいてもベビーユーザーの域をなかなか出られないで居るのですが、それでもほんとに楽しいです。知りたいことはたくさんありますしね。これからもっともっと勉強して発展に貢献できるようになりたいなぁ。

…まずは英語を学ばなきゃ!(英語は苦手なのです…(泣))

実は
こっそりとblogの本文の行間を広げてみました。blogはどうしてもテキスト中心になるので、文字を大きくするとか、行間をややあけてやることで見やすくしようと思い、ほとんどいじれないスタイルシートを「う~ん」とにらめっこしながら設定(汗
なんとか行間をあけることに成功しました。

少しは見やすくなったかな?

これだけは言わなきゃ!~テコンドー問題~
岡本、五輪出場“抜け道”での可能性にかける(サンケイスポーツ)

テコンドーで前代未聞の事態。ニュースでも散々取り上げられているが、オリンピック出場枠は獲得しているのに、団体が分裂しているからという理由で出場が危ぶまれている選手が居る。
テコンドーの岡本選手だ。
一生懸命努力して、掴んだオリンピック出場の権利。それを、あろうことかテコンドーの団体がつぶすとは。
統一に困難が伴う、それはど素人の私にはさっぱり分からない。だが、私にも分かることがある。

くだらない

実に、くだらない。団体ってのは何のためにあるんだ?選手のためにあるのではないのか?選手があって、団体があるんではないのか?その団体が、選手の出場権利をないがしろにして内部紛争を起こしていていいのか!?

言いたいことは山ほどある。だけど、そんなものすっ飛ばして、悲しい。
JOCは岡本選手の両親が頑張って集めた署名を受理していない。
9万5千人の署名を集めるのは、すごいことだと思う。それだけ、関心が強いんだ。

テコンドー教会、連合のトップの方々。

あんたらは国を背負って出場する選手の意気込みを何だと思ってるんだ!?

日の丸を背負う、というのは並々ならない緊張を伴う。野球の長島さんが倒れたのも、その強烈なストレスによるものだ。
岡本選手にはそれに付け加えて出場できないかもしれないという不安が襲う。
こんな精神状態で精一杯戦えるはずがない。

…、ひさびさに、反吐が出るようなニュースになった。

今日から開始~消費税総額表示~
ちょっとだけお得?

賛否両論あるとは思いますが、今日から総額表示です。
総額表示になったということでわずらわしい計算が不要になり、レジに並んでいる間に小銭を準備するのも楽になる(?)といったようなメリットがある反面、現在の価格設定の状態で総額表示に切り替えると割高感を煽り消費が落ち込むといった懸念もされています。
個人的には、反対です。でも、始まってしまったのだからしょうがない。割高感を避けるためにスーパーなどでは総額表示にしても値段は以前のまま据え置く(差額は自己負担)と努力しているところも数多いのですから、そこで積極的に買い物することによって、より消費が落ち込むことだけは避けたいです。
それに、実質の本体値段が下がっているということはポイント還元などでも下がるはずですしねぇ。なら、実はあまり得ではない!?100円均一はどうなる!?など混乱が予想されますが、じっくりと見守っていきますか。

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