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[日常]定義された時点で狭まるんだよね
ポリフォニカを読んでてふと思った。
ポリフォニカでは精霊がいて、精霊ってのは要するにエネルギー体だというような説明がしてある。肉体というカタチをともなっているときと、物質化を解いた状態では知覚の仕方は違うそうだ。
まぁ小説の設定なのでそういうもんだってだけの話だけれど。

ただ、それはなんとなく事実なんじゃなかろうかという気もする。確認のしようがないけれど。
人間、普通に生活していたら母国語を覚える。
言葉ってのは実に便利なもので、他人との意思疎通を可能とする。自分の考えていることを相手に伝えることが出来るし、相手の考えを伝えてもらうことが出来る。
あるいは同じものを見て同じものだと認識することが出来る。

ただ、言葉で表現することを知った時点で、言葉で表現できないものの存在は知覚できなくなるんじゃないか。そんな風に思ってみたり。

そりゃもちろん、言葉で表現できないけれど映像では表現できる、とか、味で表現できる、触覚でーとか聴覚でーとかってことはあるかと思う。けどそれもなんだかんだで言葉で表現できないことはない。雰囲気を伝えることくらいは出来るんだと思う。

それすらもできないものっていうのは、はたして本当に存在しないのか、それとも知覚できないだけで存在はしてるのか。存在していても知覚できないのならば存在していないのと同義かも知れないけれど。

けど、やっぱり存在はしてると思うんだよね。なぜなら、他国の言語を知ったらそれだけ世界が広がるから。他国の言語には母国語で表現できないニュアンスを持っているものがたくさんある。そう考えたら、やっぱり言葉ってのは世界を狭めているんじゃないかという気はする。

けど言葉がないとそれを他人と共有できない。自分ひとりで得られる情報なんてたかが知れてるんだから、やっぱり言葉がないと世界は狭い。難しいところですな。

言葉ってのは実に便利なしろもので。どうやったって実感できない、あるいはしたことのないものをこれ以上ないほどに正確に相手に伝えることが出来る。だから漫画より小説が好き。

「声なき声が聴こえる」
「泣いているように笑っている」
とかまぁ、例を挙げればキリがありませんが、こういった表現を読み手がどう解釈するかというのは人それぞれです。しかし、それらは総て正解。読んだ人それぞれがそれぞれの情景を思い浮かべるんでしょう、それらは人それぞれて違っているんでしょう、けれどその人にとってはその情景が綺麗に浮かぶ。だからそれが正解。曖昧さを残しているがゆえにはっきりとイメージできるってのがなんとなく楽しくないですかね?

そんなこんなで、想像の自由度があるテキストの方が好み。絵は情報量が多すぎて頭が追いつかないんですよね・・・。

つまるところ。ラノベサイコーってことさ!w
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